2010年5月29日土曜日

プログラマの本懐

プログラマの「本懐」 ~アーキテクトという選択

山本啓二 著

日経BP出版センター



一見すると何について書かれた本かわからないが、本書はアーキテクトというIT関連の新しい役割について書かれている。アーキテクトとは、プログラマとも、システムエンジニアとも、プロジェクトマネージャ、インフラエンジニアとも違う日本ではあまり聞きなれない職種で、プロジェクトの上流工程からエンジニアとして参画し、アーキテクチャの設計、システム構築のの基本方針の策定、設計/コードのレビュー、テスト方針の策定、プログラマの教育、フレームワークの構築、テスト環境の構築など多岐に渡って高度な技術力を元に活躍する職種だ。日本ではあまり聞きなれないと言ったが、最近では明確にキャリアパス上にある会社も多くなったと思う。また、海外では結構普通に聞かれるようだ。

日本では、プログラマとして活躍した人もある程度の年齢になるとプロジェクトマネージャなど管理者としてキャリアを構築することが多い(選択肢がこれしかない?)。しかし、今までの技術力を生かした職種とは言えないので、そのままプログラマとして仕事をする人もいるのだと思う。そこで、プログラマからのステップアップとして注目されているのがアーキテクトだ。技術力を生かして、プロジェクトの技術主任もしくは主任設計者としてプロジェクトマネージャとは違った視点で活動するのだ。技術大好きなプログラマはアーキテクトを目指して欲しいとの著者のメッセージは、「プログラマの本懐」というタイトルになっているのだと思う。

本書で述べられているのは、ある意味当たり前のアーキテクト像だが、各工程ごとによくありそうなプロジェクトの題材にアーキテクトが何をすれば良いか、どのような考え方が必要かを述べているのが分かりやすい。高度で広範囲な技術力、広い視野、チームメンバの特性の把握、コミュニケーション能力などいろいろなスキルを求められるが、おもしろい職種だと思う。

私は、プログラマから卒業してSEもしくはプロジェクト管理をやっているが、本来はもっと技術力を生かせる仕事を求めている。まさにアーキテクトはうってつけだと思うが、今の現状ではアーキテクトは不要かもしれないし、上司もアーキテクトをちゃんと理解していないような気がする。う~ん、こんな本を読んでしまうとアーキテクトになりたいと思うし、なるために転職も考えたほうが良いのかもと思わされる。

2010年5月25日火曜日

フリー

フリー〈無料〉からお金を生みだす新戦略

クリス・アンダーソン 著
小林 弘人 監修
高橋 則明 訳

日本放送出版協会


雑誌Wiredの編集長であるクリス・アンダーソンが書いた21世紀のフリー(無料)の世界について書かれた本。著者は、数年前ロングテールという言葉を世に出し、同名の本を書いた人物だ。

本書ではフリーの歴史から現在までを書いており、特に21世紀の新しいフリーの仕組みを実例を元に書いている。また、フリーの反論に対しても1つ1つ丁寧に答えているところがすばらしい。

以下は、フリーの4つのタイプ
・直接的内部相互補助
商品本体は無料だが、別の売上(消耗品など)で収益を上げるタイプ
(例)ジレット(剃刀)本体は無料だが、替え刃が有料
(例)携帯電話は無料もしくは非常に安価だが、通信費が有料
・第三者市場
商品は無料だが、別の第三者が費用を払っているタイプ
(例)テレビやラジオの放送は無料だが、番組の合間に広告があり、広告主が費用を支払う
(例)Google、Yahoo、Flickrなども同様
・フリーミアム
フリー+プレミアムの造語で、機能制限などがある無料版とフル機能の有料版がある
(例)商品のサンプル/試供品は無料だが、正規の商品は有料
(例)Evernoteでは月のアップロード制限や保存形式の制限がある無料版と制限がない有料版が存在
・非貨幣市場
名声、ステータス、自己満足など対価なしで貢献する人がいることで無料となる
(例)オープンソースソフトウェア
(例)Wikipedia

この4つのタイプは以前からあるものだが、特にフリーミアムは現代においてかなり様変わりしている。以前は5%の商品を無料にするために95%の商品を売るという考え方だったが、今のデジタルな時代では95%の無料商品を5%の有料商品でカバーすると逆になっている。これは、ムーアの法則に沿って、デジタルデータが急激に価格を下げてほとんど無視できるほど安価になっているからだ。また、5%と言っても母数が大きくなればそれなりの規模になるため、95%の部分は安くするのではなく無料にするのが正しい選択だ。人は100円と101円では大した違いを感じないが、無料と1円ではお金を払うか払わないかのなので大きな違いとなる(ペニーギャップ)。無料にすることで母数を大きくする(ユーザを最大限獲得する)最大化戦略をとることが重要だ。

本書の中で、お金の流れを逆にすることができると良いということがあった。例として、1週間に1度ジムに行って運動すると月額費は払わなくてよくなり、1度でも行かないと月額費を払わなければならないというスポーツクラブがあるらしい。これは、運営費(マシン維持費、人件費、場所代など)はお客さんの多い/少ないに左右されないことが前提で、お客さんがちゃんと定期的に通うと売上は減るが、変わりに飲食費や有料トレーニングなどで補填できるという仕組みだと思う。また、クラブ内に広告を用意し、お客さんの入りによって広告費を変えるなんてこともできるかもしれない。この支払システムはなかなかおもしろく、こういったビジネスモデルが今後増えてくるかもしれない。

もう1つ注目すべきは、4つ目のタイプの非貨幣市場だ。お金なくしてなんらかの労働を行うこと(いわゆるボランティア)が、デジタル時代になり多くなっているような気がする。デジタルの世界ではこれが評判(リンク)と注目(トラフィック)になり、これが経済と同じ力を持っていることになる。そういう私も本書(だけでないが)の自分なりの書評を対価なしに書いて、多くの人に読んでもらいたいと思っている(実際、多くの人が読んでいるわけではないが...)。

スポーツクラブの例はデジタル世界の話ではないが、今後ますますデジタル世界の価格は下がりフリーのものが増えてくると同時に、個々のカスタマイズされたデータは稀少となりフリーの周りで生計を立てる新しいビジネスモデルが生まれてだろう。最後に無料の10のルールを載せておく。

無料のルール
(1) デジタルのものは、遅かれ早かれ無料になる
(2) アトムも無料になりたがるが、力強い足取りではない
(3) フリーは止まらない
(4) フリーからもお金儲けはできる
(5) 市場を再評価する
(6) ゼロにする
(7) 遅かれ早かれフリーと競いあうことになる
(8) ムダを受け入れよう
(9) フリーは別のものの価値を高める
(10) 稀少なものではなく、潤沢なものを管理しよう

2010年5月18日火曜日

ファンタスティック・フォー

ファンタスティック・フォー(超能力ユニット)

監督:ティム・ストーリー
キャスト:ヨアン・グリフィズ、ジェシカ・アルバ、クリス・エヴァンス、ジュリアン・マクマホン

2005年


テレビで映画を見るのは久しぶりのような気がする。ファンタスティック・フォーの原作はいわゆるアメコミ(アメリカンコミック)で、宇宙で宇宙嵐(放射能)を受けた4人が特殊能力を持ち、同じく特殊能力で悪事を働く悪者を退治するというストーリー。まぁ、内容としてはよくある話ではある。

4人の特殊能力
  • 体をゴムのように曲げたり伸ばしたりできる(Mr.ファンタスティック)
  • 体から炎を出すことができその勢いで飛ぶことができる(ヒューマン・トーチ)
  • 透明になったりエネルギーシールドを作ることができる(インビジブル・ウーマン)
  • 体が岩のようになっており頑丈、怪力(ザ・シング)

悪役のドクター・ドゥーム役のジュリアン・マクマホンをどっかで見たことあるなぁ~と思っていたら、海外ドラマの「チャームド~魔女三姉妹~」に人間と悪魔のハーフで後に魔王になるコール・ターナー役の人だった。知的な悪役が似合う人なのね。いや、悪役以外もやっているとは思うが、知らないだけか?

で、この映画の見所はやはりインビジブル・ウーマン役のジェシカ・アルバでしょう。今回彼女は、知的なスーツっぽい衣装をいろいろ着ていてファンにはたまらないでしょう。途中、ほんのちょっとだけだったけど、メガネをかけているシーンがあるが、これがまたいいですね。ドラマ「ダーク・エンジェル」のときのような黒髪ではなくこの映画では金髪だが、どちらも甲乙つけ難い。どちらが自然の色なのか?

しかし、アメコミは日本のアニメに比べると奥が深くないと思うのは私だけ?

2010年5月16日日曜日

「事業仕分け」の力

「事業仕分け」の力

枝野 幸男 著

集英社



鳩山由紀夫新政権になっての目玉企画の1つが事業仕分け。この事業仕分けを統括した言わば事業仕分けの中の人である枝野幸雄行政刷新担当大臣が書いた事業仕分けの目的、やり方、実際の結果、課題などをまとめた本。政治の本など興味なかったが事業仕分けというキーワードだけで読んでみたが、非常に分かりやすく、おもしろかった。

事業仕分けを行った意義(変わったこと)は、以下と受け取った
・事業の存続に関する議論が国民にオープンになった
・事業の説明責任が事業者の側に移った

上記1つ目は、オープンになったことで、事業仕分けの結果は法的に拘束力がないもののこの結果を覆すような予算要求を行う場合、それ相応の説明を行う必要が出てくることが大きい。事業仕分けで仕分け人からの質問にちゃんと答えられなかった官僚が多かったようなので、法的拘束力がなくても事実上拘束力があるということになるだろう。

2つ目は、以前は予算を縮減するにはそれを指摘する側に予算が少なくてよい証明/説明をする必要があったと言う。しかし、事業仕分けでは、指摘する側(仕分け人)ではなく事業者側(官僚など)が予算の必要性を証明/説明することになった。これは通常の会社の費用調整などでは当たり前で、予算の必要性を説明できなければ予算がカットされる。国の予算では通常の社会での当たり前になっていなかったとは驚きだ。

一番分かりやすい例は、スパコンでの蓮舫参議院議員の次のコメントだ。
「世界一を目指す理由は何ですか?二位じゃダメですか?」
これを最初テレビのニュースで聞いたときは、「何も分かっていないな」と思った。しかし、上記2つ目の考えに当てはめると、官僚が、皆が納得できる世界一を目指す理由を説明すればよかったことになる。おそらく蓮舫参議院議員もスパコン事業を軽視していたわけではなく、純粋になぜ世界一じゃないとダメなんだろうと思ったから質問しただけだと思う。この質問に答えられなかったので予算が縮減されたと言えば、全くその通りである。

スパコンの例を含めて国民が事業仕分けをちゃんと理解していない部分はあると思う。それは事業仕分けを知らな過ぎる(今回初めてなんで当たり前だが)、そしてメディアの報道の仕方にも問題あるのではないか?議論が白熱したところ(先のスパコンや、蓮舫参議院議員に女性の理事長が「私の話も聞いてください!」と叫んだものとか)だけ報道して、本質が伝わっていないような気がする。元宇宙飛行士の毛利衛さんが館長と務める日本科学未来館の事業の縮減なども、毛利さんでもカットされたと思っていたが、運営が独立行政法人から財団法人へ再度委託されている部分に関して縮減であり、毛利さんが使える予算は変わっていないらしい。やはりこのような部分がちゃんと報道されないと国民としては事業仕分けを正当に評価できなくなってしまう。面白おかしく報道しないと視聴率が上がらないのかもしれないが、正確に報道してもらいたいものだ。

本書でいくつかの仕分け議論が再現されていて、仕分け人と官僚の丁々発止を感じることができたが、やはり実際の映像で見たいと思った。平日の昼間に行われるとサラリーマンは生で見れないので辛い。本書は、事業仕分けや政治に興味がある人だけでなく、日本人みんなに読んでもらいたい本だと感じた。

2010年5月11日火曜日

ロスト・シンボル(下)

ロスト・シンボル 下

ダン・ブラウン 著
越前 敏弥 訳

角川書店


ロストシンボル下巻。上巻と同じくスピード感はそのままでワシントンDCにある歴史的建造物や美術作品、それらのウンチクが詰まっている。謎解きもエッ!と思わせるもので、おもしろい。

しかし、エンディングはちょっと期待はずれか。ネタバレになるので言えないが、事件そのものが解決した後のフリーメイソンの秘密が何なのかについては、イマイチだった。

前2作の舞台であるローマやパリに比べて、ワシントンDCは建造物や美術品について、いかにも地味な印象を受けるが、実際はそうではないことがわかった。ローマ、パリは訪れたことがあるが、ワシントンDCにも行ってみたいと思わせる作品だった。オープニングとエンディングにやや難があるが、全体的にはおもしろい。フリーメイソンについても勉強したくなってしまった。

2010年5月9日日曜日

ロスト・シンボル(上)

ロスト・シンボル 上

ダン・ブラウン 著
越前 敏弥 訳

角川書店


ダン・ブラウン著の「天使と悪魔」、「ダ・ヴィンチ・コード」に続くロバート・ラングドンシリーズの第3作。今度の舞台はワシントンDC、テーマはフリーメイソン。前2作のイルミナティ、シオン修道会と同様、フリーメイソンについては名前だけで何も知らなかったが、特に問題なく楽しく読み進めることができた。

やや序盤はスピード感がなく物語に入りにくい感はあるが、そこを過ぎるとグイグイストーリーに引き込まれていく。謎が謎を呼び、すぐに先を読みたくなる感じは、ダン・ブラウンの見事なところ。結末がどうなるか楽しみだ。

前2作と同じくトム・ハンクス主演で映画化は予定されているらしい。これも絶対見に行くな。

2010年5月8日土曜日

ちち

娘も1歳10ヶ月を過ぎ、最近は言葉も多くなってきた。

最近しゃべるようになった言葉。

○色編
あか、あお、もも(ピンクのこと)、だいだい(オレンジのこと)。
みどり、きいろは、もう少しといったところ

○動物編
にゃーお(ネコ)、わんわん(イヌ)、ぞうさん(ゾウ)、ぴょんぴょん(ウサギ)、こんこん(キツネ)、ぽんぽこ(タヌキ)、きりん、ちゅうちゅう(ネズミ)、おうっおうっ(アザラシ)、がおー(ライオン)、にょろにょろ(ヘビ)、ぴぴぴ(トリ)、ちょうちょ(チョウ)。
かめ、らっこあたりは、もう少し

○両親編
以前から私たち2人まとめて「かか」だったり「ばば」(なぜにばば?)だったり、私のことを「○×ちゃん」(聞き取り不能)と呼んだりしていたが、ちょっと前から私の奥さんのことを「かか」と呼ぶようになった。で、5/3ごろから急に私のことを「ちち」と呼ぶようになった。奥さんの枕を指差して「これ、かかの!」、私のかばんを指差して「これ、ちちの!」を連発するので、私たちのことを「かか」「ちち」と認識していることは確か。「ちち」は「父」のことで間違っていないのだが、やっぱり変。誰も教えていないのに「ちち」と呼ぶのはどうゆう訳だろうか?

この呼び名って、ちょっとイヤ...